【短期集中連載】創価学会「支部長」の僕が公明党支援をやめた理由 -08- 〜初代会長・牧口先生のご加護を確信した奇跡の出来事〜

先輩カメラマンの紹介で、何年か前から練馬の写真屋さんに撮影のお仕事をいただいている。小学校の毎年3月の卒業式と4月の入学式。それ以外は、たまに連絡をいただくのだが、スケジュールが合わずに、なかなか仕事をさせていただく機会に恵まれず。

今年は10月以降、コロナの縛りが緩み、それまで中止や延期になっていた学校行事がドバッと入ってきて、どこの写真屋さんも猫の手も借りたいほどの忙しさで。そんななか、練馬の写真屋さんからショートメッセージが届いた。

「オグラさん、泊まりがけの撮影はお願いできますか」

むかし、山登りを含む泊まりがけの撮影で死にそうな目に遭ったことがあり、おそるおそる尋ねた。

「すみません。山登りはありますか」

そしたら山登りを含む2泊3日じゃなく、まったく全然ヘビーじゃない1泊2日の小学校6年生の移動教室の仕事を割り振ってくれた。これなら死なずに済みそうだ。笑

こちらも10月以降は撮影がびっしり埋まっていて、少し前に資料をいただいていたのだが、ろくに目も通さず、どこに行くのかもピンときてなかった。当日の朝、死ぬほど早く家を出て、外環道を抜けて大泉のICで降り、学校の駐車場にクルマを止め。

バスに乗ってから、もう一度よく資料を読み、伊豆半島の最南端の下田にある練馬区の宿泊施設が目的地であることを再確認。むかしデジカメ雑誌の編集をやってたとき、河津桜を撮るみたいな企画のロケで河津までは行ったことがあるのだが、下田は初めて。フレンドリーなバスガイドさんの話を聞いて、下田は幕末、明治維新の開明の地であることを思い出した。むかし歴史の授業でさんざん習ったはずなのにね。

あたしの大好きな坂本龍馬が脱藩を藩主の山内容堂に許してもらったとか、吉田松陰がアメリカの船に乗せてくれと体当たりでアタックしたとか、ハリスの秘書?としてあてがわれた日本人女性がいて、みんなに軽蔑の眼を向けられながら奮闘したとか、もちろん小学生相手なのであまり生々しい話は出てこなかったけど。

坂本龍馬の脱藩赦免のエピソードについては、こちらのページが詳しい。

車中泊で旅する東海・北陸 〜坂本龍馬の脱藩赦免の地 伊豆半島・下田

で、野趣あふれる水族館をあとにして、いよいよ宿泊施設へ。小高い丘のいちばん上にある施設まで急な坂道を上り。その途中で、どこかで見たことのある平屋の建物を目にして。すぐにわかった。銘板には創価学会 下田牧口記念会館と書いてある。

その瞬間に、思い出した。あ、そうだ。創価学会初代会長の牧口常三郎先生は、ここ下田の地で官憲に逮捕されたのだ。

そこからオグラさんの脳内コンピュータはうねりをあげ、ものすごい勢いで回転を始め。牧口先生は、いったい下田のどこで、官憲に逮捕されたのだろう。

ググったら、創価大学の教授の論文がヒットし。「須崎」というところらしい。こちらもググったら、僕がいまいる下田の練馬区の施設や下田牧口記念会館のすぐそば、南端の漁村であることがわかり。鳥肌が立った。

地図、見えますかね。いちばん下の真ん中が須崎漁港。上の左のほうに創価学会下田牧口記念会館があります。僕らの泊まった練馬区の施設は下田牧口記念会館のちょいと右上。

うわ、と思った。牧口先生が、オグラ君、君のやってることは間違ってないよ。もっと、どんどんやりなさい、とおっしゃってくださっている気がした。

で、よく考えたら、下田での1泊2日の移動教室って、11/17、18だったんですよね。

11/18って、創価学会の創立記念日であるとともに、牧口先生の祥月命日なんですよ。

そのことを思い出した瞬間、背筋がゾワッとなった。

あらためて自分の使命の重さを感じた。

昼から酒飲んでちゃダメだなって思った。書いて書いて書きまくって、創価の真実、三代会長の正義を満天下に示さなくては。僕が池田先生から半生かけて全身に浴びまくった仏法の醍醐味を、世界中に知らしめて廻らなくては。それをしないうちは、絶対に死ねない。

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