ガザで殺された子どもたちのことを考える。

ようやく土曜日の運動会の画像整理と納品が終わった。

それにしても、子どもたちの笑顔に癒されるよ。

撮影しながら、いつも考えているのは、殺された子どもたちのむざんな遺体の写真を思い浮かべる。彼ら彼女らの生前の最高の笑顔とともに悲痛な叫びのツイートに載せられた…。

いま毎日のようにイスラエルの空爆によってガザとかレバノンとかの子どもたちが虐殺されてるけど、あたしは無力すぎて何もできないけど、彼らが殺されるのをじっと見ていることしかできないけど、そのかわりといってはなんだけど、目の前にいる日本の子どもたちにたくさん笑顔で接して「この人生は絶対に悪くない」ということを全力で伝えていきたいと思ってる。

あと、もうひとつ思うのは、稀代の殺人鬼ネタニヤフ率いるアタマのおかしいイスラエル軍によって虫ケラのように殺された子どもたち、彼ら彼女らの命は、死んだら消えてしまうのか。僕は断じて違うと思う。そんなにあっけないわけないじゃん。誤解を怖れずに言うと、彼らは彼らの大きな使命を帯びてこの地球に生まれてきた。そしておそらくはその使命を立派に果たして、死んでいった。そしてきっと彼らはまたこの世に帰ってくる。一方、彼らを文字どおり虫ケラのように殺してまったく悪びれないイスラエルのキ●ガイどもはどうか。いまのところはなんか勝ち誇ってるみたいにバカみたいに踊りまくってるけど、どういうカタチで彼らが死ぬにせよ、天の裁きをこれでもか、これでもか、これでもかと、嫌というほど受けるに違いない。これが東洋の叡知だよ。天網恢恢疎にして漏らさず

そのときはうまいことやってると一時は思うかもしれないけど、宇宙生命の目は誤魔化せない。お釣りもなければオマケもない。自分がやったことの報いをカッチリ受けるのが、この宇宙の定めだ。これはあたしが仏教徒で創価学会員だからいうのではない。これは宇宙の法則、摂理、道理なんだよ。誰人たりとも逃れることはできない。そのことを全人類に伝え弘めていくのが広宣流布だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です