M君との対話

一昨日の夜、何十年ぶりに会った「同志」であり、学友でもあるM君との対話について書いていこうと思う。

会う前にLINEでやりとりしてたときから、不穏な空気は感じてた。

彼はいわゆる2世ではない。1988年、知人の紹介で自ら創価学会に入会した。

30代半ばで、活動を止めたのだという。自らの意思で。

LINEには、こう書いてあった。男子部の副部長だったが、タダ働きが嫌で、活動をやめた、と。

会ったときも、同じことを言ってた。会った翌日、昨日の朝やりとりしたLINEでも。

「タダ働き」という言葉に、僕なんかはギョッとしてしまう訳なんだけど。

僕は2世で、母が創価学会の信仰をやっていて、物心のつくかつかないかという頃から会合に連れて行ってもらい、母の勤行唱題の声を子守歌のように聞いて育った。なんならおなかのなかにいる頃から。

小学生時代は少年部、中学生時代は中等部、高校時代は高等部の会合に素直に参加して、創価学会の信心を少しずつ学んでいった。おそらくここにはとても大切な生命哲学が広がっている、と直感的に感じた。小学校1年生の頃から朝晩の勤行唱題をやり、そのせいか、学校ではつねに優秀な成績をおさめた。

この調子で書いてると日が暮れるので、省略して。

高等部の時代からは責任を持たされるようになり、いまも悪友で畏友、なにより飲み友達の石渡浩一さんと一緒に、同じ年代の「高等部員」のみなさんの家を「家庭訪問」と称して、会合に誘いに行ったり。いわゆる「活動家」としての活動を開始した。

M君は新聞奨学生をしていたのだそうだ。僕が2021年の夏まで聖教新聞の配達を1年半くらいやっていたことを話すと、雨の日の新聞配達は大変で、という話をしてくれた。その話を聞きながら、僕は聖教新聞の配達をやってた頃、雨が降ると、そのぶん闘志が燃えたことを思い出してた。

晴れの日は、聖教新聞や公明新聞が雨に濡れる心配がないので、新聞が置いてある土橋さんちの小屋に必要な部数を取りに行って、いつもの大きめのバッグに詰めて、その月の一覧表を見ながら、聖教新聞と公明新聞の部数を間違わないようにしながら、各ご家庭のポストなどに投函していけばいい。

でも雨の日は、そうはいかない。前もって、各ご家庭にお配りする聖教新聞と公明新聞の束を、用意されたビニール袋にそれぞれ詰めて、カバンに順番に入れていく必要がある。

・聖教新聞だけの世帯(部数はいろいろ)
・聖教新聞1部と公明新聞1部の世帯
・聖教新聞2部と公明新聞1部の世帯
・公明新聞1部だけの世帯

毎月、購読世帯や部数は若干の変動があるので、前の月の下旬にあたしが新聞を配ってた三山6丁目のおふたりの正の配達員さんから、そのデータをもらい。Excelで作ってある前の月のデータを変更するカタチで、間違いがないように慎重に確認しながら部数の一覧を作成する。

聖教新聞社から配布されてる厚手のビニールのバッグに段ボールで作った間仕切りを挟む。そこには聖1公1とか聖2公1とか書いてある。新聞を入れたビニール袋を投函し間違わないように。

とにかく雨の日は燃えるのよ。だって、ハードルが高くなるわけじゃん。晴れてる日は鼻歌でも歌いながら、朝焼けを独り占めしながら、自転車をこいでいけばいいけど、雨の日はそうはいかない。池田先生からのお手紙を絶対に濡らさずに、読者の皆様にお届けするのだ、とその一心で、持てる智慧のすべてをそこに注ぎ込む。

雨の日は、ハードルが高いぶん、功徳も大きいんだよ。それは間違いない。だから、うっわ、嫌だなあ、という気持ちよりも、よっしゃ、今日はいつもの何倍も功徳を積めるぞ、帰ったら飲むぞ!ってそればっかりを考えてた。まあ日曜日は壮年部にとって活動の本舞台なので、なかなか朝から飲むって訳にも、いかなかったんだけどね。

ここで一気に話題は変わる。

M君が口癖のようにいってた『タダ働き』って言葉について。

その言葉を聞いたとき、ものすご〜く全身でギョッとしたんだけど、M君自身はオグラがそんなに衝撃を受けていることに気づいてなかったんだと思う。じゃなければ、そんなにカジュアルに「タダ働き」なんて言葉を連発しないでしょう。

そこで自分なりに考えたんだけど、M君に限らず、カネももらわずに誰かのために働くなんてバカらしい、という思想というか考え方が、いまの日本の社会に蔓延してるんじゃないかなと、ハタと気づいた。

twitterをやってると、見たくもないのに、あたしは創価学会を辞めました!とか、活動を自分からやめました、聖教新聞の配達をやめて、せいせいしました、みたいな声がバンバン目に入る。まあ、いまは活動家も少なくなって、ひとりひとりへの負担が大きくなって、幹部とかやってる人たちは本当に大変なんだろうなあ、と思うわけだけど、なんでそんなにイヤイヤやってるんだろう、というのが素朴な疑問。子どもの頃から何度も聞かされてきたし、創価学会に関係なく、これは道理だと思うんだけど、イヤイヤやっても楽しくないし、イヤイヤやるならやんなきゃいいし、なんでそういう状況なの?って素朴な疑問なのですよ。あたしも若い頃から正役職をずっとやらせていただいてきて、とくに壮年部になって地区部長、支部長という最前線の幹部をやらせていただいて、本当に大変だなあ、っていつも心の底から思ってたけど、でも「やめたい」と思ったことはないな。だって人のために尽くすのが宗教の魂でしょ。大乗仏教の眼目なんじゃないの。釈迦も、日蓮大聖人も、もちろん創価学会の三代会長も、不幸な人をなんとか幸せにしたい、と思って命を捧げたわけじゃん。その系譜に連なる我々が、どうして自分の幸せだけを願って、人のために尽くすことを厭うのか、おれにはよくわからん。足立区の男子部、壮年部、大丈夫か?という気がとてもする。笑

いままで書いてきたように、「人のために尽くす」というのが命の底まで染みついちゃってるあたしや飲み友達の石渡浩一さんみたいな人ばっかりじゃなくなってきたというのが、創価学会のいまの危機なんだろうね。なんでかよくわからないけど、時代の変化っていうのは大きい気がするね。海外とかに行くと実感するんだけど、日本は社会が成熟して、みんなそれなりに生きていける。だから、わざわざ「誰かのために尽くす」なんてことは隅っこにおいやられてるのかもしれない。あえて自分でそういう人を見つけて、わざわざ自分から人の分まで苦労をしょいこまないと、そういう貴重な経験、体験はできなくなってるのかもしれない。まあ、隠蔽されてるだけなんだけどね。

まだまだ日本にだって苦しんでる人はたくさんいるし、いざ目を世界に向けてみれば、超大国のエゴで苦しめられている民衆は何億、何十億といる。そこに気づくかどうか、目を向けるかどうか、なんだろうなと思うわけで。

M君の話に戻るけど、M君がなんでそんなにタダ働きを厭うかというと、たぶんだけど、彼は仕事を楽しんでないんじゃないかと思う。金融機関にお勤めで、以前は支店?に所属し、融資の営業なんかをやってたと。でも自分から希望して、いまは本社勤務で、以前よりは早く帰れるようになったと。

できた時間で、好きな映画を見たり、地元では無理だった野球観戦をしたり。そういう自分の時間を楽しんでいるのだそうだ。

よく考えてみたら、そういう「生き方」って、けっしてM君だけじゃないよね。他人のためにタダ働きするなんてバカらしい、というのが、いまの日本の主流の考え方なのかもしれないね。日本だけじゃないか。世界全般が、そうなのかもね。時代の風潮というか。

さっきも書いたけど、機械化、IT化が進んで、人間がやらなきゃいけない「しごと」がだんだん減ってきて、ヒマになってきて、楽になってきて、そうして、誰かのために働くことが「バカらしい」という風潮がどんどん主流になってきたのだろう。

疲れてきたし、長くなってきたので、このへんでいっぺんupしようと思うんだけど、彼、M君は、僕にこういう。

組織を離れたいまも、朝の勤行だけはやってます。若い頃、勤行をやって仕事と私生活で功徳をもらったので。学会活動とか選挙とか折伏とかで仏界を起こせますか? 僕はNoだと思う。

なるほどなあ、と思う。彼が毎朝、読誦しているのは、日蓮大聖人からずっと続いていて、創価学会も朝晩の勤行に推奨している法華経、妙法蓮華経の方便品第二と如来寿量品第十六なのであり。

みなさんは釈迦の説いた法華経について、ご存じだろうか。

地涌の菩薩って、知ってますか?

虚空会の儀式で、釈迦は自身の滅後の娑婆世界における布教、弘教について、託せる弟子たちを募る。

その場にいた弟子たちは、口々に濁悪世での弘教を誓うわけだけど、釈迦はいきなり、とんでもないことをいう。

止みね、善男子。

で、出てくるのが地涌の菩薩なわけですね。

M君は、勤行唱題をやって功徳をいただいた!と喜んでるけど、彼が毎朝、読んでる法華経は師弟の経典なのですね。師匠は苦しむ民衆に救いを与えるために全生涯を捧げた。師は自分と同じ使命感に立ち、自らの亡き後、この法華経を全世界に弘める本物の弟子を渇仰した。

つまり、この法華経は、自分だけよければ、という人のための経典では、断じてないんだよ。

あたしにありがちだけど、ちょっとキツい論調になったかもしれないけど、M君にはわかってほしいなあ。話してて、LINEでやりとりしてて、ちょっとアタマが固い、自分の考えに固執してしまう人なのかな、という印象はとても強く持っているのですが。

でも、そういう相手だからこそ、1mmずつでも、いや1μmずつでも、話していくことが大事かなと。

そんなことをいま強く感じています。

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