「同志」の学友と数十年ぶりに再会

昨日は撮影のあと、学生時代の「同志」と何十年ぶりに会って、錦糸町で飲んでた。

同志というのは、彼が大学1年のときに創価学会に入会し、しばらく学内の組織で一緒に活動してたから。

ほんの数日前、twitterで声をかけられて、飲むことになった。最初、名乗られても、彼のことを思い出せず。話してるうちにだんだんと思い出してきた。

大学を卒業し、就職して、30代の中頃、男子部の副部長という役職を勤めていた頃、仕事が忙しかったのもあり、一切の活動を自分からやめたそうだ。

twitterとLINEでのやり取りで、うすうす感じてはいたのだが、実際に会って話してみたら、なんというか、もう突っ込みどころ満載なほど、創価学会の仏法に対する理解があまりにも浅くて倒れそうになった。

むかし、勤行をしたところ功徳をいただいた!という自身の経験だけを抱きしめて、いまも勤行だけはしているらしい。「学会活動や選挙の支援、折伏をやって仏界になりますか」とずいぶんいろんな幹部に質問してきたみたいだけど、納得のいく答えが得られなかったので、活動はやめた、という。

個人折伏も、まわりの応援をもらいながら、ひとつできた、というのだが、その相手とは、完全に音信不通なのだそうだ。

本当に突っ込みどころ満載で、もう二度と会わないか、それとも、たまに会って仏法への理解を深めていただくか、相当に悩んだけど、いまは、時間と心に余裕があるときに、たまに会って話をしてみようかなと思ってる。

彼と台湾料理屋の狭いテーブルを挟みながら、なんてもったいないんだ、という言葉を幾度となく繰り返してしまったさ。だってそうでしょ。1988年に入会した彼が、いままでまじめにコツコツ、この信心に励んでいたら、まったく違う人生が開けていただろうに。

彼自身、何度も「我見」という言葉を口にしていたけど、自分で納得したことしか信じない、という意識が強すぎるようだね。これも自分で言ってたけど、ただのひとりも、尊敬できる先輩と出会えなかったと。たぶん、あまりにも我が強いんだろうね。幼少期の経験が影響しているのか、あるいは先天的なものなのか。おそらくは、そのどちらもが原因理由なのだと思うけども。

本人は否定してたけど、twitterであたしをたまたま見かけて、声をかけてくれたってことは、命の底では、この仏法を求めているのだと思う。毎朝、方便品・自我偈の勤行だけはまじめにやってるっていってたから、その功徳なのかもしれないね。

『人間革命』、読んだことありますか、って聞いたら、第2巻の泉田さんの戦争体験、それから第4巻の戸田先生の獄中の解脱が描かれた「生命の庭」をさらさらっと挙げられ。三十四の「非ず」が表す意味ってわかりますか、って尋ねたら、わからない、と。仏ってなんだと思いますか、って聞いたら、幸せになれる境涯かなと。

ちげーよ。笑

いやー、本当に心の底からもったいないと思う。

昨日、点心を食ってるとき、今日のことをブログに書いてもいいですか、って尋ねると、僕の名前を出さなければいいですよ、と。書いたものもしっかり読んでチェックしてもらう約束をしたので、いまベッドに寝っ転がってiPhoneで書いてるこれを、あとでMacBookで何倍にも増やしたヤツを「船橋創価新聞」に載せて、読んでもらおうと思う。

けど、ていうか、なんで千葉の創価学会から厳しく活動停止、一切の会合参加禁止を言い渡されているあたしが、アタマの固い未活動家のおっさんの激励にアレしなきゃならないんだよ。足立区の壮年部、どうにかしろよ。笑

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