(書評)『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』 『オープンダイアローグがひらく精神医療』

この2冊の書籍に対する書評、ものすごく染みるんだよね。なんでかって考えたら、こないだまで、一方的にお前の言ってることは間違ってる、と上から目線でコメントされ、それに反論したらブチ切れて向こうから勝手にブロックして去っていった「マウンティングおじさん」のいじめに遭ってたから。

仕事でけっこう一緒になる人だから、まあ穏便に済ます手もあったんだろうけど、僕はあなたのその行為に嫌悪感を覚えていて、できればやめていただきたいと思っている、ということをそろそろ伝えなくてはいけないと思っていたので、ああいう反応をしたんだと思う。

毎回Facebookでの書き込みに、オグラの個人的な備忘録というか脳内妄想のメモに過ぎないので、あんまり真に受けて現実的、批判的なコメントをお寄せいただいても当方は困惑するのみです、みたいな但し書きを入れるのもアホみたいだしね。あたしの書き込みを読んでる人たちは、そんなこと、いうまでもなくとっくに理解してくれてると思ってたもんで。

いまなら書いてもいいかなと思うけど、例のマウンティングおじさんのページ、取り巻きみたいな仲間の人たちに囲まれてて微温的なやり取りが展開されてるんだけど、たまに反論とかを書く人がいると、マウンティングおじさん、猟犬よろしく完膚なきまでに叩きのめしてるんだよね。見ていて痛々しいほど。

まあ自分にものすごく自信があるんだろうね。自分のやってきたこととか、自分の考えとか。それは別にどうでもいいんだけど、人との関わり合いのなかで、それをそのまま相手にぶつけるっていうのは、まるっきり違う話だと思うんだけどね。まあ本人はそういうつもりはないんだろうけど。でも僕がことあるごとに繰り返し書いてるように、人って当たり前だけど自分を中心に生きてて、自分を基準に物事を考えてる。それはまあ生き物としては当然のことだと思うけど、僕はそれを乗り越えることこそがいまの人類の最大の課題だと思ってる。自分や自分の家族や自分の住む地域や自分の所属する国の利益ばかりを考えるから、いつまでたっても国際的な争いごとって絶えない。

自分の不利益になることでも、相手のためと思えば、実行に移す、ということができないとこれからの人類の歴史って暗いと思う。そう書くとマウンティングおじさんは、じゃあいますぐお前の全財産を処分してアフリカの飢餓で苦しむ子どもたちのために尽くせよ、っていいそうだけど、まあなかなかそこまではできないけど、自分ができるかできないかのギリギリのところで頑張る、自分ができなかったことをできるように、少しずつできることの領域を広げていく、っていうのが大事なんじゃないかと思う。

まさに、他者を思いやる。
ここにも何度も書いてるけど、口でいうのは簡単だけど、実際に行動するのは至難の業だよ。安直な自己犠牲じゃなくて、相手を最大に高めつつ、自分も成長し、考えを深め、やれることを増やしていく。たぶんそれって仏法に限りなく近づいてる気がするんだ。

あんまり関係ないかもしれないけど、こないだ、そう、いま画像整理やってる成田市の西の丘の上にある高校の球技大会で、校庭の端の桜並木を歩いてたとき、

すべての命は等価だ

って天啓が降りてきた。別にだからって微生物を踏んで殺すのはやめようとかいうつもりはなく、すべての命は同じように尊いのだ。人間の命だけが尊く、微生物が劣っているということはない。いまあるがままにそれぞれの命はそれぞれのありようのままに尊重されるべき、ということかな。

そして今日、画像整理やりたくないなあって思ってたら、こんなことを思った。撮影したものの結局削除するコマも、消さずに残して納品するコマも、すべては命だ、同じように尊い、と思った。もうちょっというと、消すコマがあるからこそ残すコマも生きるというか。どちらも限りなく慈しみながら画像整理をやるべきだ、と気づいた。

少し寝る。朝までかも。笑

(書評)『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』 『オープンダイアローグがひらく精神医療』:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196352.html

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