久しぶりに更新。Mac miniを立ち上げたのも、すごくひさしぶり。なんで立ち上げたかっていうと、メルカリに写真集を何冊か出品したから。
ああ、それにしてもヒラギノ明朝のこの美しさよ。
ATOKのサブスク、いわゆるATOK Passportが、いままでの月330円から660円へ、2倍の値上げとなり。Windowsは買い切りのATOKを使ってるんだけど、問題はMacとiPhone。iPhoneもずっと昔に超安く購入した買い切りのアプリのATOKを使ってるんだけど、もうずいぶん前に更新は止まっており。で、メインのiPhoneはなんとかそれを法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)できてるんだけど、サブのiPhoneはATOKが使えない状況で。つらすぎて死にそう。Macも買い切りのATOKはずいぶん昔に終わってて、いまMacでATOKを使うとするとサブスクのATOK Passportを使うのが現実的なわけで。
で、ずいぶん悩んだ。日本語変換ソフトごときに、月660円も払う価値はあるのか、と。
今日さっき久しぶりにMac miniを立ち上げ、ATOKがすでに使えなくなってる事態を想定した。けど、なんの不具合もなく、ふつうに使えてる。そか、月330円→660円に自動更新してるわけで。すげーな、JustSystems。徳島の超優良企業。まあ嫌みはこのくらいにしとくとして。
三世の生命観、ってわかりますかね。現在・過去・未来〜って庄野真代が歌ってた、アレですよ。
最近会った友人に、そっと尋ねてる。あなたは三世の生命観を信じますか、って。池田先生が『法華経の智慧』で詳しく述べられてるんだよな。「死後の生命」と関連付けて。気が向いたら、読んでみてね。
書籍『創価学会』のなかで田原総一朗も触れてた。池田大作さんに、こんなことを言われた、って。なんかずいぶん雑な感じだったので、田原総一朗には、どうも刺さらなかったようだ。
ここからは自分のことを書く。
あ、宮本輝の『錦繍』でも、三世の生命観がテーマになってるんだよね。
生きていることと死んでいることは、もしかしたら、同じことかもしれない、って。
たしか、主人公のおばあちゃんは、手の指が一本足りなかったんじゃなかったっけ。
そしてそのおばあちゃんの息子は「僕はしあわせではなかった」といいながら自ら命を絶った。
だけどそのおばあちゃん、どこかでその息子と再会してたんじゃないかって。
ごめんなさい、もうたぶん10年以上、読んでないので、記憶が薄れてるけど。
今日もユーカリが丘の保育園に行って、豆まきの撮影をしてきた。
僕はいわゆるスクールカメラマンで、毎日のように、あちこちの幼稚園や保育園を訪問して、子どもたちの姿を写真に収めてる。
一期一会っていう言葉があるけど、僕のやってるのは、まさにそういうことで。たぶん今日僕が撮った子どもたちとは、たぶん二度と会わない。
たまに、ある決まった地域をテリトリーとしてる写真屋さんの仕事で、同じ小学校とか、同じ幼稚園に、何度か通ったりもするんだけどね。そういうときは、顔を覚えてくれた子どもたちに、あ、カメラマンさんだ、って笑顔で声をかけられたりもするんだけど。
でも、大きな写真屋さんとかだと、契約園が死ぬほどたくさんあるので、同じ幼稚園や保育園に行くことはめったにない。今日の保育園にも、たぶん二度と行かないと思う。
でね、一期一会って言葉をかみしめながら、ふと思うわけさ。
もしかしたら、この子たち、昔どっかで会ってたんじゃないかなって。ずっと昔、遠い昔。
ご存じの通り、僕は子どもの頃から創価学会員で、小学校に上がるか上がらないかの頃から朝晩の勤行唱題をやってた。たしか、創価学会の第二代会長、戸田城聖先生が「成仏というのは三世の生命を悟ることだ」ってどこかでおっしゃってた気がする。僕の理解では、一念三千っていうのは時間的にも空間的にも融通無碍な境涯をいうんじゃないかなと思うんだけど、創価学会員として勤行唱題に励み、それなりに仏道修行にも励んでいると、だんだん三世の生命観が身についてくる。
これって確信なので、言葉で説明しろって言われても、なかなか難しいんだけど、けっこう数年前に知ったんだけど、キリスト教も、イスラム教も、もちろん日本の神道も、この三世の生命観を説いてないんだってね。要するに、人生は今世限り。死んだら神のもとへ? 神道におよんでは、死後のことは何ひとつ説いてないとか。
『法華経の智慧』で池田先生がたっぷり語られてるけど、もし人生が今世で終わるとしたら、人にバレないようにさんざん悪いことをして、おもしろおかしく生きて、それで死んでも、何の問題もないことになるよね。でも、もし来世というモノがあって、今世の生き方のプラスマイナスが来世に持ち越されるとしたら…。
トランプとか、イーロン・マスクとか、エプスティーンとか、ネタニヤフとか、あと日本だと安倍晋三とか高市早苗とかアホーとか立花とか兵庫の斎藤とか、そのほか名前を出すまでもないあまたの悪人たち、彼らが三世の生命観を命の底から信じてたら、もうすこしちゃんとした生き方を選んでたんじゃないかな、って思うわけですよ。
違いますかねえ。ひたすらお題目を上げて、仏道修行に励んでると、だんだん三世の生命観を、命の底から信じられるようになってきますよ。
それが創価の仏法の、最大の功徳なんじゃないかなあ。