敵は「利己主義」

いまさらかよ、っていわれそうだけど、仏法者として、戦うべき相手をハッキリと見つけることができたよ。

気づいてしまえば簡単なんだけど、それは
「利己主義」ってヤツだ。
要するに、自分さえよければ、ってヤツ。

物事の本質ってすべからくそうだと思うのだが、この利己主義もスケーラビリティがすごい。つまり、我々ひとりひとり、個人のレベルから、国際社会、政治、経済までの問題をひとことで貫く。

仏法で説く小我と大我っていうのもそうだな。
「心の師となるとも心を師とせざれ」っていうのもそう。
人間、自分自身の中にある利己主義に負けるな、ってことだよね。

生き物、生物である以上、自分の生命、自分の利益を最優先に考えて行動するのは、ある意味、仕方のないことだと思う。問題は、人間がそれだけのために人生の大半を費やしてしまうことの愚かさ、ムダさ、人生の損失について。あえてここでは、自分と家族の幸せのために生きる、というのも、利己主義のほうに含めておこうかと思う。いまの世の中を見ていれば、そう考えたほうが自然だと思うから。

考えてみれば、我々の身近な日常生活から、国際経済に至るまで、すべての元凶って、この利己主義だと思わん? 自分さえよければ、っていう発想こそが、ありとあらゆる紛争を巻き起こしている。人類は自分たちがまいた利己主義の繁茂によって窒息し、もはや破滅寸前まで追い込まれている。

じゃあ、この利己主義に打ち勝つためには、どうすればいいか。飛躍するように聞こえるかもしれないけど、結論からいうと、宇宙の摂理、人間の生きるべき正しい道を説き尽くした、この仏法を信受し、生涯をかけて実践を貫いてゆくしかない。

なぜ我が師匠たる池田大作先生は、全世界の民衆が渇仰してやまないこの仏法と繰り返し言われるのか。いまこの閉塞した時代に我々池田門下生が全世界でこの仏法を命がけで弘めないと、人類の行く末は真っ暗というか、もはやないよね。

僕はずっとアベ自民の国政の私物化を批判してきたけど、問題はそういうアベ自民の政治を少なくない国民が黙認というか支持してしまっていること。理由は簡単だよ。そういう国民たちも、アベ自民の腐りきった政治家たちと同じように、程度の差こそあれ、利己主義の奴隷に成り下がってしまっているから。

昔、学生の頃、ある先輩が、こう言った。
この仏法を信じて実践することでしか、真の幸福は掴めないんだよ、と。

そのときは、そんなもんなのかねぇ、って思ったけど(もちろん反論はしなかったけど)、いまならはっきりわかる。

真の幸福っていうのは、愛する人と一緒にいるとか、家族がとりあえず仲良く健康だとか、仕事が上手くいってて経済的にも安定してるとか、もちろんそういうことも大事だと思うけど、もっと深い意味においては、自分が人間として生まれてきて、自らの生命が根本的にはらむ利己主義との戦いを開始し、それを超克できるかどうか、そして深い使命を自覚し、他者のために尽くせるかどうか、尽くしきれるかどうか、自分の今世の使命を果たしきれるかどうか。それに尽きると思うんだよね。

僕は彼女もいないし、妻も子どももいないし、仕事もあったりなかったりで経済的には苦境がずっと続いてるけど、それでも、自分の生まれてきた使命をハッキリと自覚し、そのための実践を続けていこうと命の底から決意してるよ。だから、何も怖くない。いつ死んでもいいと思ってる。なぜって、死んだらまた次の生を受け、使命ある天地でこの戦いの続きをするだけだから。生も仏、死も仏と日蓮大聖人がおっしゃり、生も歓喜、死も歓喜と池田大作先生がおっしゃったとおりに。

だから僕は自分の身のまわりのすべての人たちにこの仏法を語っていくことが、息を吸ったり吐いたりすることとほぼ同義だといま考えてる。周りの同志の方々にも、はやくこのことに気づいてもらいたいと命の底から痛感し、戦いを開始してるところ。

朝の6時前から、何を書いてるのでしょう、この男は。しかもシラフですよ!奥さん!

イオンの激安ウイスキーでも飲んで寝るかな。笑

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