正月そうそう理屈っぽいタイトルになってしまいましたが。
年末に、飲んだんですよ。オグラの畏友にして悪友、飲み友だちのI氏と。いつもの東習志野の角のとんでんで。彼は肝が据わってるというか、こんな問題児の、いや要注意人物のオグラと会って飲んでくれる素晴らしい男なのですが。
D750にAi Nikkor 35mm F2sをつけてスナップしながら歩いて行ったら、とんでんの前にPayPayののぼりがたくさん風になびいてる。そうだ、船橋市は12月末まで20%オフなんや〜。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、彼と激論を交わしつつ、僕の主張はそれなりに理解していただけてる気がしないでもないのだが、それでも彼が一線を越えないのは、理由はよくわかってる。
飲みの途中で、彼の口からそのものズバリを聞くことができた。言われるまでもなく、わかってたけどね。
曰く、
「僕らにはお預かりしている部員さんがいる。政治というごく一部分のことで、組織を投げ出したりは、できないよ」
まあ、場合によっては、責任ある正役職をいただいていながら、結果的に組織を放り出してしまったオグラに対する批判とも取れないこともない。それはお互いによくわかってて、僕はご存じのとおり激情型で、すぐに熱くなり、相手が誰であっても間違ったことは絶対に認めないという、よくいえば正義感のカタマリみたいな男で。対してI氏は、非常に温厚、まろやか、常識的。たけり狂っているのを見たことがない。
まあ、そういう対照的なふたりだから、何十年もケンカひとつせず、やってきたというのもあるかもしれないけどね。
彼の口にした、
・僕らにはお預かりしている部員さんがいる
・政治というごく一部分のことで
・組織を離れたりは、できない
すごくよくわかるんだ。ウソじゃないよ。でも、あえて反論を試みたい。
彼は「政治というごく一部分のこと」とのたもうた。
たぶん、それがほとんどの創価学会員(≒公明党支持者)のホンネなんじゃないかと思う。
そこがまさに、一凶なんだよ。
われわれが日々、拝んでいる御本尊をお認めになり、南無妙法蓮華経のお題目を発明された日蓮大聖人は、立正安国論という御書を遺された。そのなかで、大聖人は、
「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱らん者か」
と厳然とおっしゃっている。
言うまでもなく立正安国論は、日蓮大聖人が、時の最高権力者、北条時頼に叩きつけたモノで。
われわれが本当に自分のお預かりしている部員さんの生活や人生のことを考えるのならば、まっとうな政治の実現を、まず第一に考えなくてはならない。
もちろん、同時進行でいいと思うけどね。
なので、政治なんて、ごく一部分、という考えは改めていただきたく。
年末のとんでんでも話題になったけど、この20年、諸外国と比較して、日本の、日本人の実質賃金がほとんど上がってない、場合によってはマイナスだったりする、というのは、各種統計を見ても明々白々なのであり。
20年といったら、公明党が自民党と連立を組み始めてからの年月とほぼ一致するよね。
とくにアベ政権以降、アベノミクスなんていう新自由主義の経済政策により、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる、という悪循環を、公明党がどれだけ体を張って止めたのか、正したのか、僕には甚だ疑問。
そもそも、公明党の国会議員が、大上段に構え、そういう根本的な議論をしてるのを、寡聞にして、僕は見たことも聞いたこともない。公明党のやってるのは、せいぜい自民党の新自由主義的な政策の弥縫策に過ぎないと思ってる。たまにしか読まないけど、聖教新聞のダミーの紙上座談会でも、毎回同じことしか言ってないじゃん。ワクチンは公明党の手柄だ。野党は反対した。公明党は政治の安定に寄与してる。云々。
もう聞き飽きたよ、そんなの。
公明党支持者≒創価学会員が全国津々浦々で自民党の小選挙区の候補者の当選に全面的に寄与しているのだから、もっと強気で自民党にガンガン物申すべきなのでは。
ま、言えない理由もうすうすわかってるけどねw
繰り返しになるけど、公明党はせっかく連立政権に参画しているのだから、もっとやれることが山ほどあるんだよ。
それがなぜか、どちら方面からか、まったく無意味なリミッターをかけられてて、超優秀な所属国会議員の皆様方の能力の数十分の一も発揮できていない。
その、いまの状況って、俺に言わせれば犯罪的だと思うんだよね。
そう、犯罪的。創価学会初代会長の牧口常三郎先生は、悪いことをするのと、それを見て見ぬふりをするのは、同じか、違うか、という問いを立てられた。創価学会員なら誰でも知ってる。
いま牧口先生が生きていらっしゃったら、公明党のあまりのふがいなさに激昂されてると思うよ。
もしそう思わないのであれば、初代会長の思想の勉強が足りない。
to be continued forever…